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退職時に突きつけられた「誓約書」の正体
退職を決意し、上司に退職届を提出したその日。
「これにサインしてもらえますか」
そう言って渡された書類には、「競業避止義務に関する誓約書」と書かれていました。あなたは戸惑いながらも、円満退職のためにサインすべきか悩んでいるのではないでしょうか。
近年、企業秘密の保護などを目的に、退職時に何らかの誓約書へのサインを求める企業は増加傾向にあると言われています。しかし、その内容が法的にどこまで有効なのか、正しく理解している薬剤師は多くありません。
競業避止義務とは、簡単に言えば「退職後に同業他社で働くことを制限する約束」です。一見すると会社を守るための正当な取り決めに見えますが、実はあなたの職業選択の自由を大きく制限する可能性を秘めています。
この記事では、多くの退職手続きに関わってきた私が、競業避止義務の実態と、退職時の誓約書で失敗しないための具体的な対処法をお伝えします。あなたのキャリアを守るために、ぜひ最後まで読んでいただければと思います。
競業避止義務とは何か?法的根拠と実務上の位置づけ
競業避止義務とは、労働者が退職後に元の勤務先と競合する企業に就職したり、同業種で独立開業したりすることを制限する義務のことです。
調剤薬局やドラッグストアなどの薬剤師の現場では、患者情報や経営ノウハウ、取引先との関係性といった企業秘密を扱う機会が多くあります。こうした情報が競合他社に流出することを防ぐために、企業側が競業避止義務を設けるケースが増えているのです。
しかし、ここで重要なポイントがあります。日本の法律では、職業選択の自由が憲法で保障されています。そのため、競業避止義務は無条件に認められるわけではなく、一定の要件を満たす必要があるのです。
競業避止義務が有効となる4つの要件
過去の判例を分析すると、競業避止義務が法的に有効と認められるためには、以下の4つの要件を満たす必要があります。
1. 守るべき企業の正当な利益が存在すること
単なる人材流出の防止ではなく、企業秘密や特殊な技術・ノウハウの保護といった、具体的な利益が必要です。調剤薬局の場合、患者の個人情報や特定の医療機関との取引関係などが該当します。
2. 労働者の地位や職務内容が限定的であること
経営幹部や特殊な技術を持つ従業員など、企業秘密に深く関わる立場の人にのみ適用されるべきです。一般的な薬剤師業務のみを行っていた場合、競業避止義務を課すことは難しいとされています。
3. 地域的・時間的な制限が合理的であること
「日本全国で働いてはいけない」「10年間転職禁止」といった過度な制限は認められません。通常は半径数キロメートル以内、期間は6ヶ月から2年程度が妥当とされています。
4. 代償措置が講じられていること
転職の自由を制限する以上、企業側は相応の対価を支払う必要があります。退職金の上乗せや、競業避止期間中の補償金の支払いなどが該当します。
ある管理薬剤師が退職する際にこの問題が浮上しました。その薬剤師は店舗の売上管理や在庫コントロールの独自システムを構築していたため、会社側は競業避止義務を主張しました。
しかし、実際には何の代償措置も用意されていなかったため、私は経営陣に「この誓約書は法的に無効になる可能性が高い」と進言したのです。結果として、会社は退職金を通常の1.5倍に増額することで、その薬剤師と合意に至りました。
【注意点1】退職時に突然提示される誓約書の危険性
多くのトラブルは、退職を申し出た後に突然誓約書を提示されることから始まります。退職を決意した薬剤師は、できるだけ円満に退職したいと考えているため、内容をよく確認せずにサインしてしまう傾向があります。
入社時の誓約書との違いを理解する
重要なのは、入社時に結んだ雇用契約と、退職時に求められる誓約書は全く別物だということです。
入社時の契約は、労働の対価として給与を受け取るという双方向の契約です。一方、退職時の誓約書は、既に退職することが決まっている状態で、一方的に制限を課そうとするものです。
このため、退職時に初めて提示される競業避止の誓約書は、法的に無効と判断される可能性が高いのです。特に、代償措置が何も用意されていない場合は、ほぼ確実に無効となります。
【注意点2】「商圏」「競合」の定義が曖昧な誓約書
競業避止義務の誓約書で最も問題となるのが、「競合」の定義の曖昧さです。
「同業他社への転職を禁止する」と書かれていても、何をもって同業他社とするのかが明確でないケースが非常に多いのです。
薬剤師にとっての「競合」とは何か
調剤薬局からドラッグストアへの転職は競合に当たるのでしょうか。病院薬剤師から調剤薬局への転職はどうでしょうか。
実は、この線引きは非常に難しい問題です。私が人事部長として対応した事例では、「調剤薬局からドラッグストアへの転職は競合に当たらない」と判断したケースもあれば、「同じ商圏内であれば業態を問わず競合と見なす」という判断もありました。
重要なのは、誓約書に書かれている「競合」の定義が、あなたの職業選択の自由を不当に制限していないかどうかです。
地理的範囲の妥当性を検証する
「半径5キロメートル以内」という制限が書かれていても、それが妥当かどうかは地域によって大きく異なります。
都心部で半径5キロメートルと言えば、数百から数千の薬局やドラッグストアが含まれます。これは事実上、転職を不可能にする制限です。一方、地方であれば半径5キロメートル内に数店舗しかない場合もあります。
過去の判例では、十分な代償措置がない状態で、都心部における「半径3キロメートル、期間1年」という制限を課すことは、職業選択の自由を不当に侵害するとして無効と判断されたケースがあります。
「東京23区内の全ての調剤薬局およびドラッグストアへの就職を2年間禁止する」という、明らかに過度な内容のものもあると聞きました。ただ、このような誓約書は、法的に見て無効である可能性が極めて高いです。
【注意点3】代償措置のない競業避止義務は無効
競業避止義務が法的に有効となるためには、労働者の職業選択の自由を制限する代わりに、相応の対価を支払う必要があります。
しかし、実際には代償措置が全く用意されていない誓約書が横行しているのが現状です。
適切な代償措置とは何か
代償措置として認められるものには、以下のようなものがあります。
- 退職金の増額(通常の1.5倍から2倍程度)
- 競業避止期間中の月額補償金の支払い
- 在職中の特別手当の支給
- 特別功労金の支給や、基本給へのあらかじめの組み込み(手当)
これらの対価がない場合、競業避止義務は法的に無効と判断される可能性が高くなります。
実務での対応方法
自社の話ではありませんが、ある幹部薬剤師が退職する際に、こんな交渉がありました。
会社側は「1年間、半径2キロメートル以内での就職を制限したい」と提案しました。それに対して、その薬剤師は「では、その1年間の補償として月額30万円を支払ってください」と要求したのです。
最終的に、会社側は月額20万円の補償金を支払うことで合意しました。ただし、これは企業秘密の中枢にいた幹部クラスだからこそ成立した稀なケースです。
一般的な薬剤師の場合、「補償金を払ってまで制限したくない」と会社側に思わせ、誓約書自体を撤回させるための交渉材料として「代償措置」の話を持ち出すのが最も賢い戦術です。
もしあなたが退職時に競業避止の誓約書を提示され、代償措置について何も言及がない場合は、必ず「対価はどうなりますか」と確認してください。会社側が対価を用意していないのであれば、その誓約書へのサインは拒否すべきです。
誓約書にサインを求められたときの具体的対処法
では、実際に退職時に競業避止の誓約書を提示されたら、どのように対応すればよいのでしょうか。
まずは内容を精査する
焦ってサインする前に、以下の点を必ず確認してください。
- 競業の範囲(地理的範囲、業種、職種)が具体的に明記されているか
- 制限期間が明確に記載されているか
- 代償措置について言及があるか
- 違反した場合の罰則が明記されているか
これらの情報が曖昧な場合、その誓約書は法的に問題がある可能性が高いです。
専門家に相談する
誓約書の内容に少しでも疑問を感じたら、必ず専門家に相談してください。労働基準監督署、弁護士、社会保険労務士などが相談先として適切です。
特に、転職先が既に決まっている場合は、その転職先の企業にも相談することをお勧めします。多くの薬剤師職業紹介会社は、こうした法律問題についても相談に乗ってくれます。
私が人事部長時代に対応したケースでは、転職エージェントを通じて退職する薬剤師が、誓約書の内容をエージェントに確認し、適切なアドバイスを受けてから対応を決めたことがありました。結果として、不当な制限を含む誓約書へのサインを回避できたのです。
サインを拒否する勇気を持つ
最も重要なのは、不当な内容の誓約書にはサインしないという勇気を持つことです。
「円満退職のため」「上司との関係を壊したくない」という気持ちは理解できます。しかし、あなたの今後のキャリアを大きく左右する問題です。不当な制限を受け入れる必要はありません。
会社側が誓約書へのサインを強く求めてきた場合は、「弁護士に相談してから回答します」と明確に伝えてください。多くの場合、会社側もそれ以上は強制してきません。
なぜなら、会社側も法的に無効な誓約書を強制することのリスクを理解しているからです。
転職エージェントを活用した安全な退職の進め方
競業避止義務のトラブルを避けるためには、転職活動の初期段階から専門家のサポートを受けることが重要です。
薬剤師専門の転職エージェントは、こうした法律問題についても豊富な知識と経験を持っています。特に、退職交渉の段階でエージェントのサポートを受けることで、不当な誓約書へのサイン要求を回避できる可能性が高まります。
私が人事部長時代、実際に『信頼できる』と感じたエージェントについては、以下の記事で実名を挙げて解説しています。失敗したくない方は、必ずチェックしてください。

競業避止義務違反で訴えられる可能性はあるのか
「もし誓約書にサインして、その後に競合する薬局に転職してしまったらどうなるのか」
これは多くの薬剤師が不安に感じる点です。結論から言えば、実際に訴訟に発展するケースは極めて稀です。
企業側が訴訟を起こすハードル
企業が元従業員を競業避止義務違反で訴えるためには、以下の要件を満たす必要があります。
- 誓約書の内容が法的に有効であること
- 実際に企業に損害が発生したこと
- その損害と元従業員の行為に因果関係があること
これらを立証するのは非常に困難です。特に、一般的な薬剤師業務のみを行っていた場合、企業秘密の漏洩を証明することはほぼ不可能です。
実際の訴訟事例から学ぶ
私が知る限り、調剤薬局業界で競業避止義務違反の訴訟が実際に起こったケースは数えるほどしかありません。その多くは、経営幹部や薬局長クラスの人間が、患者情報や取引先情報を持ち出して競合企業に転職したケースです。
一般的な薬剤師が、単に同じエリアの薬局に転職しただけで訴えられるリスクは、現実的にはほとんどないと言えます。
ただし、注意すべきなのは、訴訟に発展しなくても、元の勤務先から「警告書」や「内容証明郵便」が送られてくる可能性はあるということです。こうした書面を受け取った場合は、無視せずに、必ず弁護士に相談してください。
あなたのキャリアを守るために今すぐ確認すべきこと
ここまで、競業避止義務の実態と対処法について解説してきました。最後に、あなたが今すぐ確認すべきポイントをまとめます。
現在の雇用契約を確認する
まず、あなたが入社時に交わした雇用契約書や就業規則を確認してください。そこに既に競業避止に関する条項が含まれていないか、チェックすることが重要です。
もし含まれていた場合でも、前述の4つの要件を満たしていなければ、その条項は無効です。不安な場合は、専門家に確認してもらいましょう。
転職活動は慎重に進める
転職を考えている場合は、必ず専門の転職エージェントに相談してください。特に、競業避止義務の問題がある場合は、その点を最初に伝えることが重要です。
経験豊富なエージェントであれば、競業避止義務を考慮した上で、適切な転職先を提案してくれます。また、退職交渉の段階でのサポートも受けられます。
退職時の準備を怠らない
退職を決意したら、誓約書を提示される可能性を想定して準備しておきましょう。弁護士や労働基準監督署の連絡先を控えておく、転職エージェントに事前に相談しておくなど、できることはたくさんあります。
そして何より、不当な要求には毅然とした態度で臨む勇気を持ってください。あなたには職業選択の自由があり、それは憲法で保障された権利なのです。
今のあなたに必要なのは、正しい知識と信頼できるパートナー
競業避止義務という言葉に不安を感じているあなたへ。
あなたが今の職場で培ってきた経験とスキルは、決して一つの会社に縛られるものではありません。市場はあなたの能力を必要としています。
私が人事部長として多くの薬剤師を見送ってきた中で、最も後悔したのは、不当な誓約書にサインしてしまい、希望する転職を諦めた薬剤師たちの姿でした。彼らは「会社を円満に辞めたい」という気持ちから、自分のキャリアを犠牲にしてしまったのです。
あなたには同じ後悔をしてほしくないのです。
競業避止義務は、正しく理解すれば決して恐れるものではありません。法的に無効な誓約書を見抜く知識、そして信頼できる専門家のサポートがあれば、あなたは自由にキャリアを選択できます。
今、この記事を読んでいるあなたは、既に大きな一歩を踏み出しています。正しい知識を得ようとしているその姿勢が、あなたの未来を変えるのです。
もし転職を考えているなら、まずは専門の転職エージェントに相談してみてください。ファルマスタッフ、レバウェル薬剤師、ファル・メイトといった信頼できるエージェントは、あなたのキャリアを守るために全力でサポートしてくれます。
私が人事部長時代、実際に『交渉力が高く、信頼できる』と感じた理由について、以下の記事で生々しく解説しています。失敗したくない方は、必ずチェックしてください。

あなたの市場価値は、あなたが思っているよりもずっと高いのです。今の職場で感じている閉塞感や不安は、新しい環境で必ず解消できます。競業避止義務という障害を正しく理解し、適切に対処することで、あなたは理想のキャリアを手に入れることができます。その第一歩を、今日踏み出してみませんか。

